

今日は「関係代名詞」ですか?

特に「制限用法」と「非制限用法」というのに触れてみようと思う。この「非制限用法」っていうのはどういうものかわかる?

例えば「, who~」とカンマが付いている形ですよね。

カンマが付いていないのが?

「制限用法」ですね。

とりあえず、そういう呼称の違いがあるってことだけ確認しておいて、今日はさっそく実例に当たってみよう。村上春樹の「風の歌を聴け」から取ってみた。
The uncle who gave me the book died in agony three years later of intestinal cancer.
僕にその本をくれた叔父は三年後に腸のガンを患い、苦悶のうちに死んだ。
※agony(長く続く)苦痛、苦悶 ※intestinal腸の
※村上春樹の原文は、「僕にその本をくれた叔父は三年後に腸の癌を患い、体中をずたずたに切り裂かれ、体の入口と出口にプラスチックのパイプを詰め込まれたまま苦しみ抜いて死んだ。」となっていますが、英訳がこの文章を2つの長文に分けているため、日本語の訳を高橋が独自につけました

ちなみに「the book」としてあるのは、ハートフィールドの絶版になった本のことだな。

ハートフィールドっていうのは架空の人物のわけですよね。前にも説明がありましたけど。

そう。この文中の「僕」が文章の全てを学んだってうそぶいていた小説家のことだな。その実在しない小説家の小説をくれたのが、叔父だった、ということだ。

特に難しい文章ではないですよね?

これは制限、非制限でいうとどっち?

「制限用法」ってことですよね。

では例えば、「The uncle, who gave me the book~」という風にカンマをつけた形にすると、どうなる?

「非制限用法」にしたら意味が違うってことですか?

同じだったらカンマっていうのは単なるアクセサリーになっちゃうだろ?

この場合はあまり意味が違わないように思えますけど。

まず「非制限用法」っていうのは「説明を付け加えている」という風に考えれるとわかりやすいと思う。日本語でカッコを使って説明を加えることがあるだろ? あのイメージをするといいと思う。

つまりこの場合だったら、「その叔父(私に本をくれた)」くらいに考えられるってことですか?

そう。名詞を「限定(制限)してない」ってことだな。逆に「制限用法」っていうのは、文字通り先行する名詞を「限定(制限)する」わけ。

引用した文章だと「The uncle who gave me the book~」で「僕にその本をくれた叔父」と「限定(制限)する」わけですか。

そういうこと。こういう「限定(制限)している」、「限定(制限していない」ということを考えてみると、引用した文章から見えてくることがあるけどそれは何だかわかる?「The uncle who gave me the book died in agony three years later of intestinal cancer.」と「The uncle ,who gave me the book died in agony three years later of intestinal cancer.」とカンマを入れた形にするのとでは、はっきりと違いがあるけどそれはどんな違い?

その「限定(制限)する」「限定(制限)しない」っていうのがヒントになるわけですか?

これは、「叔父」の人数がわかるわけだろ?「The uncle who gave me the book~」とした場合は「僕に本をくれたその叔父」となるわけだ。つまり、「叔父」っていうのはどんな叔父なのか「限定(制限)する必要がある」から「制限用法」を使っているわけ。ということは叔父は何人いることになる?

2人以上ということですか?

そう。繰り返すけど、叔父が何人かいて「限定(制限)する必要がある」から、後ろから修飾したという理屈だな。では「The uncle ,who gave me the book~」と限定(制限)しない場合は、逆にどうなる?

叔父が一人しかいないとわかるわけですか。

そう。これは冠詞のところで詳しく話したけど、「the」という定冠詞が使われているから「決まった一人の叔父」として示されているわけだ。その唯一の叔父は「本をくれた」と単に説明を加えているということだな。

「The uncle」という「その叔父」について、単に後から説明を加えているだけだということですね。

この「制限用法」と「非制限用法」っていうのは、こういうはっきりした違いが出る事例で覚えてしまうというのが一番いいと思うんだな。例えば、下の文章のどちらかは日本の事情に照らすと不自然になるわけだけど、もうわかるよな。
My husband, who looks like Hidetoshi Nishijima, is 30 years old.
My husband who looks like Hidetoshi Nishijima is 30 years old.

西島秀俊に似ているってずいぶん盛っている感がありますね。

そんなことはどうでもいいんだよ。不自然なのはどっち?

それは「My husband who looks like Hidetoshi Nishijima is 30 years old.」のほうですね。カンマが付いていない「制限用法」と呼ばれるものですね。

なんで?

さっきの理屈で行くと、二人以上の夫がいることになってしまいますよね。

そう、「私の夫の中で西島秀俊に似ているのは30歳です」っていう意味になってしまうわけだ。

一妻多夫制だったら問題ない文章なわけですね。

日本の事情に照らすと、ということになるな。

日本の事情に照らせば、「My husband, who looks like Hidetoshi Nishijima, is 30 years old.」とカンマが付いているのが二つのうちでは正しい言い方になると。

そう。カンマの有無っていうのは、単なる文法上のルールなのではなくて「意味」を決定する重要な決め手になるということだな。この「制限」ということを考えると、そもそも固有名詞っていうのは限定(制限)をつける必要がない場合が多いわけね。理屈としては今日説明してきたことの繰り返しになるけど、固有名詞「だから」、限定(制限)する必要がないということだ。
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●追伸

今日実例として紹介した「風の歌を聴け」は村上春樹の処女作です。「ノルウェイの森」以降の村上春樹ももちろん魅力がありますが、チャンドラーやヴォネガット、ブローディガンといった「アメリカ」にどっぷりつかっていたころの小説もとても面白く読めます。
まずは日本語からいかがでしょうか?
まずは日本語からいかがでしょうか?
あなたは関係代名詞の「制限用法」と「非制限用法」の使い分けに苦戦した経験をお持ちではないでしょうか?この違いを把握するには、日本語の文法用語である「制限」「非制限」という言葉の意味を考えるというのが一番いい方法です。この2つの用法の違いから見えてくるものは何か? めずらしく役に立った文法用語に沿って解説してみました!